ローマの信徒への手紙 8章15節
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。(ローマの信徒への手紙 8章15節)
神様の子供の心の中には勇気に満ちた「アバ(「お父さん」という意味)」という叫びのみが響いている、などと思い込んではなりません。その中では嘆きの叫びも聞かれるのです。これは聖徒が皆、体験してきたことです。罪もまた良心の中で人を絶望に追いやるはずです。しかし、キリストの御霊の叫びは、信頼が疑いに打ち勝つほど圧倒的に力強いはずです。ヨハネがこう言っている通りです、「そこから私たちは、自分たちが真理から出ていることを知るでしょう。そして、私たちは心を神様の御前で安らかにさせるでしょう。たとえ私たちの心が(私たちを)責め立てたとしても、神様は私たちの心よりも大きい御方であり、すべてを御存知だからです」(「ヨハネによる第一の手紙」3章19~20節)。
(マルチン・ルター、宝石箱)
私たちの良心が信じて疑わず、
「罪の赦し」だけでなく「神様の子ども」という身分さえ
自分に与えられていることや、
自分が救われることについて確信をもち、
喜んで神様に祈り、
神様を「愛する私のお父様」と呼ぶことができるときに、
この「アバ、お父さん!」という呼びかけが聞かれます。
この確信を手放してはなりません。
キリストがこれらのことを豊かに備えて、私たちに洗礼を通して賜った、
という慰めを疑い信じないならば、
私たちのために言葉では言い尽くせないほど大いなるみわざを行い、
苦しみを受けられたキリストを侮ることになります。
しかし、カインがこれを聞くと歯軋りをし反抗的にこう言います、
「神様、私をこのひどい異端と不遜から守ってください!
私のような貧しい罪人がどうして、「自分は神様の子どもだ」、
などと傲慢にも言えるのでしょうか?とんでもない。
私は謙遜に、「自分は貧しい罪人です」、と告白する者でありたい」。
彼らのことはほうっておいて、彼らとかかわらないように気をつけなさい。
なぜなら、彼らは
キリスト教の信仰とあなたの救いにとって、一番たちの悪い敵だからです。
もちろん私たちは皆、自分が貧しい罪人であることをよく知っています。
しかしここでは、自分自身や自分の行いを見てはならず、
キリストが私たちにしてくださり、また今もしてくださっていることだけを
見つめるべきです。
ここで私は、自分の人となりについてではなく、
神様の恵みについて話しているからです。
この恵みは私たちよりもはるかに大きいのです。
それは、詩編103編11節によれば、
天が地よりも高く、東が西から離れているよりもさらに大きなものです。
もしもあなたにとって、
自分が神様の子供であることが素晴らしいと感じられるなら、
愛する友よ、
あなたが神様の子供としての身分をいただくために、
神様の御子が来られて、女から生まれ、
律法の下に生活されたことも軽んじないようにしなさい。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)